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2017/03/15

宇宙戦艦ヤマトの堕落史0|墓碑銘

「宇宙戦艦ヤマト」から「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」に至る歴史について語りたい。
西崎義展のプロデュースで作られた「ヤマト」について、個人的な見解をもとに変遷を辿っていこうと思う。

「宇宙戦艦ヤマト」の歴史とは、汚濁の歴史である。
「宇宙戦艦ヤマト」の歴史とは、失望の歴史である。

「ヤマト」を語ることとは、最初のTVシリーズにあった美点が失われ、無視され、汚されていった堕落の道筋を辿っていくことである。
製作者の意向で作品世界は書換えられ、設定は捨てられ、死者は蘇り、構築された作品世界は反故にされる。
「ヤマト」は、そんなことを繰返した。

「宇宙戦艦ヤマト 劇場版」公開当初、この映画は「愛」もしくは「宇宙愛」だとか「和」を描いたものだとか高尚そうに語っていた西崎義展は、大金をせしめてからというもの、本性を現した。
「赤坂のデスラー」と呼ばれ、赤坂で豪遊していたという。
儲けたお金でクルーザーを買い、銃火器を買って女を連れて海に乗り出した。覚醒剤を買ってキメたところを警察に捕まり、獄につながれた。
実写版『Space BattleShip ヤマト』の高額な映像化権料で買った船から海に落ちて不帰の客となり、養子・西崎彰司が権利を手に入れ、続篇に手を染めた。

『宇宙戦艦ヤマト』ファンは、最初の「宇宙戦艦ヤマト」の面影を追いかけて映画館に足を運ぶ、もしくはチャンネルを合わせては失望を味わうという繰り返しだった。
しかし、ファンとは汚濁も失望も呑み込んで、ファンであり続けた。





「宇宙戦艦ヤマト」シリーズ墓碑銘  1974年10月ー2009年12月


・TVシリーズ 『宇宙戦艦ヤマト』1974年10月6日 - 1975年3月30日
読売テレビ制作・日本テレビ系


本邦初の本格的SFアニメ。
企画時には全52話が構想されていた。放映時に39話の予定でスタートしたが、視聴率が低く、26話に短縮して終了した


。
「テレビまんがは子供のもの」という既成概念を破って、中学生、さらには大学生くらいまでの広範なファンを獲得した。のちのアニメ市場の可能性を提示した。

イイとしこいたオトナなのに、アニメの登場人物について時に涙ぐみながら語るという気持ちの悪い人をたくさん生み出した作品。
あと、同人誌において、アニメファンジンのメジャー化のきっかけとなり、アニメ二次創作という新しいジャンルを創った作品と言っていい。

ただし、制作時間が圧迫された悪影響が色濃く出ている作品でもある。
回ごとに作画監督がことなり、デザインは各作画監督のクセが強く出たものだった。
最終回はカットごとに登場人物の顔が変わるというバラエティに富んだものとなった。




・劇場用映画 『宇宙戦艦ヤマト』東急レクリエーション・東映 1977年8月6日公開

七色星団のドメル艦隊戦、ガミラス星攻防戦をメインに26本のTVシリーズを雑にまとめた総集編。
当初公開されたバージョンでは、イスカンダルのスターシアは死亡しているという設定に変更されていた。 しかし、映画のテレビ放映時にはスターシア生存に差し替えられていた。
TVアニメ、しかも低視聴率で打ち切られた作品のダイジェストでも宣伝次第で金になることを証明した映画。
つまり「TVアニメを再編集した映画」という、さしたるカネもかけないでアニメファンからカネをむしり取るという鉱脈を掘り当てた記念碑的な作品。
でも、世間では「テレビでただで見られたものを再利用して金儲けするセコイ商売」としか見られなかった。

テレビ放映用に作られたアニメを劇場の大スクリーンにかけると色々とアラが目立つが、そのことはさして問題にはならない。たまにカットの追加や作画のし直しがされるケースもないわけではない。





・劇場用映画 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』東映 1978年8月5日公開。

これといった策がなくて武器もないので敵に特攻をかけて終わらせるという、安直きわまりないストーリーであっても、「感動作」とレッテルを貼れば、みんな劇場に押しかけて鑑賞して泣いてグッズを買い、関連商品も買いまくった。突貫で作ったので作画の不統一やミスも多いが、それも不問にされた。

これで終わったはずだった。
が、終わりの始まりだった。



・TVシリーズ 『宇宙戦艦ヤマト2』1978年10月14日 - 1979年4月7日
読売テレビ制作・日本テレビ系 全26話


『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のテレビ化のはずが、特攻エンディングをやめて、主だった登場人物が生き残った。
ここにヤマト世界は分岐して、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』は黒歴史となった。
かくして、続編がだらだら作られることになった。




作画が粗雑。しかし、ブームとは恐ろしいもので、好視聴率を記録した。「ヤマト」がほかのアニメからは遅れた存在になりつつあるのは、質の低さから伺いしれた。

・テレフィーチャー『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』1979年7月31日放映 フジテレビ系(※1981年3月14日に劇場公開)

『宇宙戦艦ヤマト2』放映終了からわずか4ヶ月後に放映されたテレビ用映画。もちろん、1年前にガトランティスの超巨大戦艦に特攻をかけ、「ヤマトは二度と皆さんの前に姿をあらわしません」と言ったことはなかったことになっている。
総員ハゲ頭の新しい敵・暗黒星団帝国が登場。
ガミラス星は暗黒星団帝国の艦隊とガミラス艦隊の交戦の結果、爆発して消滅。その結果、ガミラス星と二連星のイスカンダルは暴走を始める。スターシアは死ぬ必然性はないのにイスカンダルもろとも自爆。夫の古代守と娘・サーシアはヤマトで地球へ。
デスラーとヤマトが共闘するというのが最大のウリか。

テレビシリーズは日本テレビ/読売テレビ系列の放映だが、このテレビ用映画は、フジテレビで放映された。ビジネス面で旨味があったのだろうか。
この頃から、ヤマトはご都合主義と〈自己犠牲称揚〉に際限なくまみれていく。




・TVスペシャル『宇宙戦艦ヤマトII 総集編・ヤマトよ永遠なれ!』1979年10月6日
読売テレビ製作・日本テレビ系


土方艦長が「地球万歳!」と叫びつつ、都市帝国に特攻する。


・劇場用映画 『ヤマトよ永遠に』東映、1980年8月2日公開。

『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』でヤマトに敗れた暗黒星団帝国が地球を占領して重核子爆弾を撃ちこんだ。重核子爆弾が起動すると、人類は残らず脳細胞を破壊されてしまうのだ。小惑星イカロスに秘匿されていたヤマトは、暗黒星団帝国の母星を目指す。重核子爆弾の起動スイッチは敵の母星にあるのだ。
暗黒星団帝国は、ヤマトとそのクルーを欺くためにニセの地球を作るという、ものすごい手間を掛けたのに、相原通信員がロダンの「考える人」の顔に添えた手が逆なことに気づいて失敗するというくだりがある。

古代守とスターシアの子供、サーシアはわずか1年で17歳に成長し、ヤマトに乗り組む。しもぶくれで、<松本キャラ>という感じが薄い。
途中まで35ミリ、途中から70ミリになるという変則的な作り。予算と時間が足りなかったのだと思う。



・TVシリーズ 『宇宙戦艦ヤマトIII』1980年10月11日 - 1981年4月4日
読売テレビ制作・日本テレビ系 全25話


初心に帰って作られたTVシリーズ。少なくとも製作者側はそう称していた。
2205年、銀河を二分するガルマン・ガミラス帝国とボラー連邦の星間戦争の余波で惑星破壊プロトンミサイルが太陽に突入した。太陽の核融合の異常増進により危機に陥った地球から、ヤマトが新たな移住惑星探査と対策調査のために旅立つ。
つまり地球が危機に陥り、人類絶滅まであと一年。と、最初のTVシリーズと同じタイムリミットを設定した。地球が異星人に侵略されたわけではなく、ガルマン・ガミラス対ボラーの星間戦争に巻き込まれたというのが新機軸。
母星を失い、放浪していたデスラーが地球時間に換算して1年くらいで父祖の地ガルマンに到って「ガルマン・ガミラス帝国」を興し、大いに繁栄しているというのが粗雑でヤマトらしい。

1年間放映、52話の予定で放映がスタートしたものの、視聴率が低くて25話で終わった。

作画が粗雑。で、タッチも「ガンダム」や「イデオン」と比べるとダサダサで古くさい。
富野アニメの洗礼を受けた者に、「ヤマト」は、設定もストーリーも登場人物のキャラクターデザインも何もかも古臭く映った。




・劇場用映画 『宇宙戦艦ヤマト 完結編』東映、1983年3月19日公開。
70mm版1983年10月5日公開。


 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』がなかったコトになってるので、しれっと「完結編」などと称している。
あと、銀河を二分するガルマン・ガミラス帝国とボラー連邦は別の銀河が交錯したため、壊滅していて、この映画には関係ない。
前作(のはずの)『宇宙戦艦ヤマトIII』は2205年の話。
なのに、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』は2203年の話。
死んだはずの沖田十三が登場したのが最大の話題。
佐渡酒造先生が誤診しただけで、じつは生きていたのである。で、地球を救うためにヤマトもろとも死ぬ。
ムダに尺が長い映画。エンディングはだらだらとしていた。
これまでのヤマトの映画ほどヒットすることもなく、終了。
熱狂のなか公開された「機動戦士ガンダム」「伝説巨神イデオン」、1984年に公開された「風の谷のナウシカ」に挟まれて<終わった>感が色濃かった。




・TVスペシャル『宇宙戦艦ヤマトIII 総集編・太陽系の危機!』1983年12月28日
日本テレビ系水曜ロードショー枠で放映。


とくにコメントはない。


(長い中断)
西崎義展が麻薬をキメて捕まったり、松本零士が著作権裁判を起こしたり。



・劇場用映画 『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』東宝(通常版)、2009年12月12日公開
クロックワークス(ディレクターズカット版)、2012年1月28日公開。


『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』は1994年に制作が発表されていたものの、制作会社の倒産、西崎義展の逮捕・服役そのほかの事情によって制作できなかった。
制作が開始されたのは、2008年。刑期を終えてシャバに戻った西崎義展は、「崖の上のポニョ」を超えるヒットにするとぶち上げた。
興行収入は、「崖の上のポニョ」にわずか151億円及ばない4億円だった。
惜しい。

1994年から制作に入る2008年の間、あのどうしようもない設定やストーリーを再検討し、アップデートしようとは、誰も思わなかったんだろうか。

驚いたことに制作会社エナジオは『宇宙戦艦ヤマト 復活篇第2部』制作決定とアナウンスしている。
下記のDVDやBlu-rayが売れたからなんだろうか。「一人で数枚購入した」なんていうひとがいるという。信じられない。

で、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇第2部』を信じている人がいるらしい。
もし実現したら面白いですね。



OVA


・『ヤマトわが心の不滅の艦 宇宙戦艦ヤマト胎動篇』
・『YAMATO2520』・『宇宙戦艦ヤマト 復活編』プロローグビデオ
・『YAMATO2520』(第3巻で中断し未完)

「YAMATO2520」は、前田真宏が参加してて期待したが、制作会社倒産で中断。

前田真宏と西崎義展はなんらかのトラブルがあったらしい。内容でもめたらしい。
あとギャラの不払い問題もあったらしい。

「ヤマト胎動篇」はなかなか面白いです。
広川太一郎さんのスタイリッシュなナレーションが聞けるのもすばらしい。
金の匂いがプンプンの西崎義展や、のちに『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』『宇宙戦艦ヤマト2202』でヤマトファンの敵になった小林誠の顔も拝める。
Youtubeで見つかるので、見てみるといいと思います。
このほかに、地球の海上でウロウロしてて宇宙に旅だったところで終わったヤマトの二番煎じ作品「宇宙空母ブルーノア」(1979年10月)、よくわからないうちに記録的な不入りで終わった劇場用映画「光子帆船オーディーン」なんていうのも西崎義展プロデュースだったけど、知る人は少ない。



次回から、ヤマト堕落の歴史を語ろうと思う。

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