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2016/11/24

『宇宙戦艦ヤマト2202』の予想は当たるのだろうか?

『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』を予想した動画、というか、テキストである。

動画の形式で、文字をスクロールしているだけだ。
ブログでやらないでこういう形で文字情報を見せるのは流行なのか。





『さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち』という映画があった。

1978年公開の映画だ。

おそろしいことにざっと40年ほど前のアニメ映画の作り直しが決まった。
上記の動画は、その内容や設定について類推した文章をムービーにして見せたものだ。
二次創作ではない。そこまで行かない、いわば<設定ごっこ>をしているのだ。
こういう設定なら面白いんじゃないかな、と控えめに言っている感じだ。

2016/11/13

血と腐肉が飛散しまくる傑作『アイアムアヒーロー』

怖い映画が嫌いだ。だけど、大好きだ。

怖い場面だと顔を手で覆って、指の間から観て、「ひいっ」とか思わず言ってしまう。
怖さに震えながら、一方では怖さがもたらす快感に震える。
花沢健吾原作・佐藤信介監督の『アイアムアヒーロー』を観た。
何度も顔を手で覆ってしまった。


『アイアムアヒーロー』は、ZQNの描写が怖ろしい。
ZQNは「ゾキュン」と読む。
噛まれることによって感染し、発症する。
ほかの作品でゾンビと呼ばれる存在と同じものだ。
ZQNはおぞましい姿で彷徨し、人を襲う。
銃撃に遭って、ZQNは血液や腐肉をまき散らす。
ZQNは散弾銃を浴びて頭が消失する。
これほど夥しい血と肉泥にまみれ、生臭い臭いが充満していそうな映画を見たのは久しぶりだ。
ハリウッド製ゾンビ映画には、これくらい残虐な描写はないんじゃないか。

今や映画においては、残虐な描写が影を潜めてしまった。

単館がほぼなくなり、シネコン主体に移ってからはハリウッド製のブロックバスター大作やテレビ局や広告代理店が主導する大作日本映画が占めるようになった。
どちらも性的描写も肉体損壊のような残虐な描写などの刺激的な映像表現がない。
これは、全年齢の人が鑑賞できるように、との配慮だ。年齢制限のある映画だと観客の動員数が少なくなってしまう。
そうすると儲けが減る。
で、映画におカネを出した連中は、監督に対して規制に引っかからない描写に留めるようにと指示する。

銃撃はあっても人は倒れるだけ、閃光と轟音など、音響の効果は凝っている。
カタストロフを描く場合でも、建物や道路や橋は壊れ、クルマも吹き飛ばされたりするという派手な画が出てくる。しかし、それに巻き込まれる人の、無残な姿はない。

『アイアムアヒーロー』は、そういった流れに反する映画だ。
ZQNの、夢に出てきそうなおぞましい姿かたち、散弾銃で爆ぜる頭。
ほら見ろ、こういうのしばらく見てなかっただろう?
そんな声がスクリーンから聞こえそうだ。

これは映画の復権である。

テレビというメディアに対抗し、客を映画館に足を運ばせるには、テレビでは見られないものを作って公開すればいい。
そう言っていた映画人がかつてはいたが、こと日本では映画はテレビ局に膝を屈し、ついでに広告代理店や大きな芸能事務所にも媚を売った。
毒にも薬にもならない、バカにもわかるような映画がスクリーンを占め、わかりやすいを旗印にした、質の低い映画がスクリーンを占拠するようになった。

いい映画を観た。怖い場面だと顔を手で覆って、指の間から観て、「ひっ」とか思わず言いながらだけど、すごく面白かった。

世界がただならぬことになったことが明らかになる、長回しシーンの見事さ。
奇っ怪な姿になっても、かつて人間だった頃の習慣を繰り返すZQNの、おかしさと怖さが同居した振る舞い。
血と臓物が飛び散る中で変わり果てた妻と抱き合う中年男の哀切に満ちた最期。
そしてクライマックスに登場するあいつ。
物語の多くは巨大なショッピングモールで展開されるが、これはジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』に敬意を表したとも思える。

いい映画を観た。心からそう思う。
未来に明るい見通しをくれた映画だ。
これから、日本映画でおもしろいものがたくさん出てくるんじゃないかという大いなる期待を持った。

この映画は韓国の廃業したショッピングモールでロケをし、韓国のSFXプロダクションが参加して、すさまじいSFXを見せてくれた。
国という垣根を超えた映画の協業、どんどん出てくるといいと思う。ロケ場所も、映像技術も、音楽も、役者もどんどん越境していけばいいんじゃないだろうか。
その結果、面白い映画ができるのならば、いうことなしだ。