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2013/09/03

宇宙戦艦ヤマト2199を楽しむ

「宇宙戦艦ヤマト2199」の劇場でのイベント上映も、最終章である第7章を迎えた。惜しまれつつ、上映を終えようとしている。
テレビでの放映も、2013年9月いっぱいで終わる。

ファンも様々だ。
丹念に見て罵倒するという、暗い情熱を燃やすファンも少なからずいるらしい。ほかに楽しみはないのか、と思う。

ネットを検索して見ると、ヤマト2199の楽しみ方も様々なようだ。



かような危険球を投げて楽しんでいる人がいたりする。

2013/08/30

「宇宙戦艦ヤマト」以前の「ヤマト」

西崎義展と松本零士の著作権裁判について検索してみると、

<「戦艦大和」が蘇る>だとか<戦艦が空を飛ぶ>などというアイデアは、「宇宙戦艦ヤマト」以前にあったものだ。
したがってオリジナリティはない。
そういう主張を目にする。



2013/08/13

ヤマト2199は「さらば宇宙戦艦ヤマト」に接続しない

「さらば宇宙戦艦ヤマト」について書こう。

「さらば宇宙戦艦ヤマト」は封切りの前の晩から徹夜で並んで見た。
今はもうなくなった「渋谷パンテオン」の前だった。夜10時頃には、200人くらいは並んでいたかもしれない。夜中に、白いスーツ姿の西崎義展が大きなクルマで乗り付け、頭を下げる。何人かのファンたちと握手をし、去って行った。
朝6時頃だったか、始発でやって来た人たちが駅からどっとやって来た。ドタドタ走ってきた子供が、車に轢かれそうになったのを見た。
あまりに人が並んだので、たしか朝8時から上映を開始したと記憶している。予告編はなく、いきなり本編が上映された。
一緒に行った友人がそわそわしていた。


2013/08/06

誰かが夢見る、リメイク版宇宙戦艦ヤマト

2013年4月に始まった「宇宙戦艦ヤマト2199」の放映は、いよいよ佳境を迎えている。
9月末の最終話までおおいに盛り上がることと思う。



「宇宙戦艦ヤマト2199」について、ネット上ではたくさんのファンが楽しく語り合っている。色々なことが盛り込まれているので、語るのが楽しい作品である。

その一方で、「2199」なんぞ失敗だ、まったくダメだ、リメイクしなおせという声をあげる人がいる。
旧作と比べるとまるでダメなので、もう一度リメイクしろ、という。
ラウド・マイノリティとでもいうべき、懐古厨の声だ。


2013/07/16

松本零士:「まほろば」映画化はまぼろしか?

今年は、久々に松本零士のマスコミ露出が増えるかもしれない。
久々のアニメ映画「キャプテン・ハーロック」が公開されるから、プロモーション絡みでテレビや雑誌に登場する機会が多くなるだろう。

今年、松本零士原作のアニメ映画がもう一本公開されるというニュースがあった。
「Cosmo Super Dreadnought まほろば -超時空戦艦-」という長ったらしいタイトルの映画だ。




2013/06/09

ヤマトからヤマト2199へ | ヤマトと38年の時間


2009年、JJエイブラムスが監督した「スタートレック」の新作が公開された。
TVシリーズ「スタートレック」を再構築、とても面白くて見応えのある映画に仕上っていた。
この映画、旧作品にきちんと敬意も払っていたと思うのだけれども、お気に召さないという古参ファンがいるのだという。なんでもトレッキー=TVシリーズ「スタートレック」のファンたちには、評判が良くないのだと。
で、日本でも同じようなことが起きている。
1974年以来の「宇宙戦艦ヤマト」オールドファンたちの一部の間では、リブート作品である「宇宙戦艦ヤマト2199」の評判が良くないのだ。



2013/05/23

リブート版「ハーロック」は、松本零士の名前で客を呼べない。

3Dアニメーション映画「キャプテンハーロック」のキャストと公開日が決まったというニュースである。
人気のある若手役者が声優をつとめるという話題だ。


小栗旬『キャプテンハーロック』声優に決定!声優初挑戦の三浦春馬と対決! 

 


小栗旬がハーロックを演じる映画「キャプテンハーロック」
2013年9月7日公開が決定





「アニメ映画にはきちんと声優をキャスティングせよ」
そんな声優ファンの願いも虚しく、例によって旬の有名な俳優が多数キャスティングされたわけだ。

2013/04/08

「新耳袋」になれなかった実話怪談本

実話怪談本が好きなので、新刊でも古本でも目についたものを買うようにしている。たまに脱力してしまう珍本が手に入ることがあってそれがまた楽しい。
怪談の本なのにピントがずれてヘンなことになっていたり、あと書きに爆弾を仕掛けられている本があったりする。
それが今回紹介したい本である。

いま、おれの手元に大迫純一著「あやかし通信『怪』」という文庫本がある。
2002年に角川春樹事務所のハルキホラー文庫として刊行されたものだ。親本は「あやかし通信 九夜でおくる怖い話」(1991年・実業之日本社)。古本がプレミア価格で取引されて人気になっていたいたことから、編集者のオファーがあって文庫化されたという。
大迫は「あやかし通信『怪』」のあと書きのなかで、この親本は「伝説化」していたと自慢げに書いている。ネットオークションで高値で落札された瞬間を目撃したとも書いてある。おれは、両方とも買った。ブックオフで100円で手に入れた。親本のほうは初版で帯も付いていてじつにきれいな本だ。運が良かったんだな、おれ。
「あやかし通信『怪』」で紹介されている実話怪談は、どこかで聴いた話が多い。これがオリジナルかどうかは知らないが、よく知られている話が満載だ。
しかも、怖くはない。
でも、そんなことは瑣末なことにすぎない。
この本のおもしろさというか、この本が持つ妙味は、怪談以外の部分にあるのだ。


2013/04/02

「ヤマトよ永遠に」と金田伊功

「宇宙戦艦ヤマト」の劇場映画は、ぜんぶ封切り時に見に行った。
 けれども、どの作品も満足しなかった。
 理由は質が低いからだ。

 「宇宙戦艦ヤマト」はTVシリーズを再編集した作品だ。
 暗闇と大きなスクリーンと大音響を通じてTVの追体験をしたという意味以上のものはない。TVアニメを映画館で見るのは質の低さがはっきりわかって辛いものだと思った。
 1974年頃に制作されたTVアニメ。作画監督のクセが強く出ていて、登場人物の顔がころころ変わる。セルの塗り間違い、色のミス、撮影時にセルのゴミが映り込んでいるだとか、そういう粗が目立った。
冷静になって考えれば、何年も前のテレビで無料で視聴できたテレビアニメを切り貼りして作った「映画」なのである。しかも、再放送もされていた。
そんな作品なのに火がついてヒット、新作劇場アニメ映画につながったのだから驚きである。

 「さらば宇宙戦艦ヤマト」は、封切り前日に、渋谷パンテオンという劇場の前に並んだ。西崎義展が挨拶にきた。終電で駆けつけた学生が車にはねられたりもした。
しかし、正直な話、失望した。
冒頭の「わずか1年で復興したばかりか繁栄を謳歌する地球」で萎えた。
ラストの特攻シーンでがっかりした。
「彗星都市帝国」はヤマトの波動砲で崩壊したかに思えたが、中から超巨大戦艦が出現した。古代進はたったひとりで特攻することを決めるが、特攻まで延々と愁嘆場が続き、その間、超巨大戦艦は何もしないでヤマトが特攻してくることをおとなしく待っている。
特攻などという知恵を放棄した結末。「ヤマト」は困難を知恵で乗り越えてゆくものだと思っていたのに。
劇場映画ながらも作画が雑なカットがあったり、セルのゴミが映っていたりの粗が目立った。制作期間が短かったんだろう。
 「さらば宇宙戦艦ヤマト」は大ヒットしたので、続編を作ろうということになり、TVシリーズ「宇宙戦艦ヤマト2」ではヤマトの特攻エンディングを反故にした。次なる劇場映画につなげるためにテレフィーチャー(テレビ用映画)として「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」が作られた。
 「ヤマトよ永遠に」「宇宙戦艦ヤマト 完結編」は最初のTVシリーズの幻影を求めて映画館に足を運んだ。
 両方ともご都合主義が露骨になり、最初のTVシリーズが私たちに指し示した美点をことごとく潰すような作品だった。
 「イスカンダル人は1年で17歳に成長する」
 「沖田十三死亡は誤診。実は生きていた」

「ヤマトよ永遠に」のおはなしはこうだ。
暗黒星団帝国が地球を侵略、重核子爆弾を地表に軟着陸させる。
重核子爆弾が爆発すると、人類の脳細胞が破壊されるのだ。
宇宙戦艦ヤマトは、起爆装置のある40万光年先にある暗黒星団帝国めざして発進する。森雪は負傷したためにヤマトに搭乗できず、暗黒星団帝国の技術将校・アルフォンに助けられる。
一方、ヤマトにはスターシャと古代守の間に生まれたサーシャがわずか1年で17歳に成長した姿で古代進の前に現れる。
暗黒星団帝国はヤマトを偽の地球におびき寄せるという意味不明な作戦を取るがニセモノと見破られる。サーシャの自己犠牲で暗黒星団帝国は壊滅、地球では森雪が死が迫ったアルフォンから教えられて、重核子爆弾の起爆装置解体に成功する。
 
「ヤマトよ永遠に」は劇場で見たほか、後にレンタルビデオを借りて鑑賞した。
というのも、一時夢中になった金田伊功の仕事を追いかけるためである。
金田伊功の作画による戦闘シーンがあまりにも素晴らしくて、そのシーンを何回も繰り返して見た。





上記のムービーは、コスモゼロとコスモタイガーⅡが暗黒星団帝国の補給基地を攻撃するシーンである。
「ヤマトよ永遠に」、作品のデキはひどいのだけれども、このシーンを見るためだけに見る価値はある。
映像の快感に満ちたすばらしいシーンだ。このシーンは稀代にして不世出の天才アニメーターが手で描いたものである。そのアクロバティックな作画に興奮し、酔い痴れる。人の手で描かれた極上のSFX/VFXだと思う。
「好きなカットが1カットでもあったら、それはあなたにとっていい映画」という言葉が好きだ。真崎守さんのコトバだ。
この言葉に従うのなら、「ヤマトよ永遠に」は駄作だけど、私にとってはいい映画なのだと思う。


 

おまけ。ゲームに収められたムービー。
「ヤマトよ永遠に」を松本零士のテイストを濃くして再構築したもの。



2013/03/21

そして誰もがアイドルを語る



奇っ怪な話だ。
日本では、少なくない数の人間が「アイドル」を語り、文章をものしている。
いい歳した連中が、自分の娘もしくはそれ以下だったとしてもおかしくない若い女の子について、熱を込めて話していたり書いたりしている場面に出くわす。

日本では、オトナが電車や地下鉄の中やカフェなどでマンガ雑誌を読んでいても誰も奇異には思わない。もちろん、マンガがそれだけの質を持っているからこそであるが。
同じように、今ではいい歳した男たちがアイドルについて語ることも当たり前の場面になってきた。

ラジオをつければ、不細工で半端なアイドルが自分のSEXスキャンダルの責任をとって坊主丸刈りにしたことの是非だとか、アイドルたちが過呼吸症候群になってるだとかグループの選挙のあり方はどうあるべきなのか、とかいう話をたっぷり時間を使ってしている。

メディアで名の売れた人間も好んでアイドルについて語る。

ジャーナリスト、作家、漫画家、ライター、社会学者、ラッパー、サラリーマン、ヤクザ、ニート、オタクなど、みんなアイドルに一家言を持ってる。

もちろん、あまたの無名な人たち、主におっさん連中もまたブログやソーシャルメディアで熱ぽくアイドルを語っている。
なぜ、こんなにも多くアイドルを語りたがる人が多いのだろう。
アイドルに名を借りて、<自分が好きなタイプ>について語っているのだろうか。アイドルに仮託して、おのれの性癖や願望を吐露しているのだろうか。

「アイドル」という職業。これは考えてみれば不思議なものだ。
一般的な認識としては、アイドルとは歌を歌ってテレビの歌番組やバラエティ番組に出てくる若い女の子というものだと思う。(このエントリーでは、女性アイドルに限定して書くことにする)
ところが、歌を歌わない「グラビアアイドル」「バラドル」などという人たちも、存在している。雑誌のグラビアやウェブサイト上の有料写真集やイメージビデオが活動の主体で、イベント活動をしたり、レースクイーンをしたり、少し名が売れた者はテレビに出たりする。
アイドル。

テレビや雑誌を席巻するメジャーから路上や動画配信で活動するマイナーまで多様なグラデーションがあるのが驚きだ。本当に細分化しているようだ。
小さなライブハウスでごく限られたひとを相手に歌い、CDをパソコンで1枚1枚焼いて手作りのパッケージで売る地下アイドルもしくはライブアイドル。
鉄道マニア向けのアイドル、歴史マニアのアイドル、ポッチャリしたアイドル、樽ドル。
細分化は果てない。

アイドル業界の現状は、傍観者というか、外側に身を置くものからすればよくわからないというのが本当のところ。
集団アイドルというのはどんなものだろうかと、検索したり映像を見たりしてみた。すると、アイドルやその候補生だというブサイクな若い女の子を数百人だか集め、入れ替わり立ち代り劇場で公演に出演させる。上位メンバーをテレビなどのメディアに露出させる。ブサイクな集団の上位なので、ブサイクの度合いが多少は減じているという程度だ。そのなかに何人か比較的まともな女のコを混ぜ込んではいる。そういう存在だ。
なんだか<大儲けして調子に乗っているバッタ屋>みたいでどうにもいただけない。
売り場に並ぶ商品を仔細に眺めると、おそろしく作りの悪い安物ばかりだし。

単純にいうと、まるっきりそそられない。
テレビや雑誌から遠く離れた今となっては、集団アイドルの跋扈は、ヘンなできごとであるという感慨を持つ。
私は眼福を味あわせてくれるかわいらしいアイドルが好きだ。気に入ったアイドルの写真など眺めながら、あらぬ妄想を楽しむのが好きだ。
いま、テレビも雑誌も集団アイドル構成員がほとんどを占拠して、ほかのかわいいアイドルが世間の目に触れる機会を著しく奪っている。さして美しくもないものを愛でる人が恐ろしい数存在していることは、嘆かわしいことだ。

さて、冒頭の写真の女の子。

どう思います?


2013/03/06

「プロメテウス」をほめる

リドリー・スコット御大が「エイリアン」の前日譚とでもいうべき「プロメテウス」を撮っているというニュースを読んだ時はとてもうれしかった。

私は、「エイリアン」シリーズが大好きだ。
1作目から4作目まで、それぞれ監督の個性が際立っていて、面白い。
何と言っても、1作目の「エイリアン」は最高である。
非ヒューマノイドで、コミュニケーションを取ることができない異種の生命体との闘い。なかなか全容を見せないものの、断片的に見え隠れする姿はおぞましい。
最初は口を開けて見て、怖い場面は手で顔を覆いつつ、指の間から見た。とても怖いけれども、だからこそ目が離せなかった。
宇宙貨物船という閉ざされた空間に潜む異形の恐怖。
そんな異形との闘いを描くホラー映画でもある。そして、あっと驚くような展開と強烈なビジュアルの吸引力たるや。汚い宇宙貨物船、超古代の異星人が遺した謎の遺跡、顔に貼りつく卑猥ないきもの、乗務員に紛れ込む密命を帯びたアンドロイド。
見終わった時、安堵感を覚えるとともに面白さに圧倒された。同じ頃に見た「スターウォーズ」よりも、こっちの方がはるかにインパクトが強かった。
しばらくたってまた見たくなり、名画座にかかるようになったら何度も通い、ビデオソフトで何度見たか数えきれないくらいだ。
何度見ても興奮してしまう。




うれしいことに廉価盤が出ているので、ぜひともお手元に。
一家に一枚、「エイリアン」。



ついに、「プロメテウス」公開の時が来た。
が、宣伝には首を傾げざるを得なかった。「エイリアン」臭をかなり意図的に消そうとしていたからだ。
「プロメテウス」は、日本の公開にあたっては「人類最大の謎」という仰々しいキャッチフレーズを使って宣伝を展開した。人類の起源について描いた映画であるとパブリシティ記事には出ていた。「2001年宇宙の旅」みたいな、深遠なテーマを描いたSF映画のふりをしていたものの、その実態と来たら、底抜け映画だった。
その点を納得できるのであれば、とても楽しめる映画だ。
そう、バカ映画としては吸引力強い映画だ

リドリー・スコット御大の作品としては「ハンニバル」以来のアレな映画だ。
「ハンニバル」はクライマックスの、脳のソテーを本人に食わせる場面に爆笑してしまった。原作ではグロいと感じたのに、CGを駆使した脳むき出しのシーンはなんか間抜けな絵面でがっくりだった。

さて、これから「プロメテウス」について書く。ネタバレしているので、気に食わない人は読まないでほかのページヘどうぞ。

映画の冒頭は<騙し>だ。高尚さと荘厳さを装って始まる。
いつ、どことも知れない惑星。
激しい勢いで水が落ちてゆく巨大な滝のへりに、白くて筋骨隆々の巨人が佇んでいる。その上空には巨大な宇宙船が停留している。
巨人は服を脱ぎ、小さな容器に入った黒い液体を飲み干す。
上空に停留していた宇宙船がゆっくり動き出すと、液体を飲んだ白い巨人は突然苦しみ出し、その肉体は急速に崩壊していく。崩壊しつつ、滝の激流に呑まれ、滝壺へと落ちていく。滝壺のなかで巨人はバラバラになる。続いて、巨人の残骸から新しい生命の誕生を思わせる場面が出る。
これが「人類の起源」を描いている場面らしい。
リドリー・スコットによると、この場面は20億年前の地球なのだという。ということは、白い巨人は地球上のあらゆる生命の根源ということになるのだろうか。

「プロメテウス」は、地球に生命をもたらした異星人=エンジニアの存在を知った大富豪がその異星人との接触を目論む物語である。
「地球人のDNAはエンジニアによってもたらされた」という事実を突き止めたピーター・ウェイランドは、エンジニアにコンタクトして永遠の生命を得ようとする。コンタクトに成功したものの、エンジニアの怒りを買って、あっけなく絶命する。
エンジニアは地球に生命をもたらした<創造主> である一方、「エイリアン」で描かれたように完全生命体の生物兵器=エイリアンを開発した存在でもある。
というような謎を秘めたストーリーなのに、実際は知能指数の低いシーンばかり。
でも、それは瑣末な問題である。
この映画は、イカ対マッチョな白い巨人のバトルを堪能するためにあるのだ。



というわけで巨大イカ対巨人の闘いが気になる人は買いましょう。安いし。


大富豪のピーター・ウェイランドに雇われた科学者たちが「プロメテウス号」で未知の惑星に到着した。
調査隊員たちは調査を開始し、知的生命体の遺跡や、異星人の遺体を発見する。ところが、「異星人との遭遇」という大事件に直面しているのに、みんな驚いていないし、興奮もしていない。
かれらは、「大気の組成が地球と同じ」なので、遺跡のなかでヘルメットを脱いでしまう。不測の事態を警戒していないのか?しかも、中でタバコを吸うわ、謎の宇宙生物を発見して触ろうとするわというがさつな行動をする。
選ばれた科学者チームのはずなのに、行動が軽い。
遺跡の中で迷って置き去りにされた二人の調査隊員がいる。かれらは、エイリアンの幼生らしき生命体に襲われて死亡する。一人はエイリアンが体内へ侵入、もう一人は強酸の血を顔に浴びて死んだ。ところが、強酸の血で顔面を溶かされた方が生きていた。しかも凶暴な怪物化しているのだ。そいつはヘルメット無しで地表をうろついてプロメテウスにたどり着き、怪力で「プロメテウス」のクルーを殴り殺していく。
過去の「エイリアン」シリーズでは、エイリアンに寄生された人間が怪物化する描写はなかった。いったい彼はどうなったのだろうか。いっさい説明はない。

アンドロイドのデヴィッドは、遺跡から密かに持ち帰った黒い液体を、調査隊のメンバーのひとり、チャーリーの飲み物に混入する。その液体は映画の冒頭で巨人が飲んだものと同じものらしい。
チャーリーは同僚のショウ博士とセックスする。
翌日、調査隊は遺跡を探査する。
デヴィッドは他の隊員を尻目に遺跡の探査を進め、宇宙船の操縦部のような場所にたどり着き、冷凍睡眠中の巨人も発見する。巨人が地球を目指していたらしいことも知る。
体の変調を訴えるチャーリーは怪物化しはじめる。かれは「殺せ」と懇願し、女性監督官メレディスは火炎放射器を彼に向ける。
それをつぶさに見ていたショウ博士は失神する。
目覚めたショウ博士は、デヴィッドから「妊娠3ヶ月です」と告げられる。チャーリーとのセックスで妊娠、お腹の中では急速に新しい生命が育っているのだった。
異種生命体をお腹に宿したショウ博士は周囲の人間の生死を振り切り、全自動手術台に入る。
手術台は内側に操作パネルが付いている。自分で自分を手術できるという装置だった!ショウ博士は簡易帝王切開手術を敢行。腹をかっさばいて、イカのようなバケモノを摘出する。じたばた暴れるイカはガスを浴びせられて動かなくなる。


































切開した腹をホチキスで縫合、その直後から、ショウ博士は飛ぶは走るはの人間離れした大活躍を見せ付けることになる。
もうお気づきかと思うが、中盤以降はリドリー・スコットの<悪趣味好き>全開なのだ。もはやストーリーの細かいことなどどうでも良くなったのか、勢いに任せた無茶苦茶な展開になっていくのだ。

ショウ博士は、冷凍睡眠から目覚めたピーター・ウェイランドと会う。彼やデヴィッドらと共に覚醒した巨人に会うために遺跡に向かう。
その様子をモニタしつつ、「プロメテウス」の船長は、この惑星はエンジニアたちの実験場であり、生物兵器の研究をしていたものの、その生物兵器でみんな死亡したのではないかと推論を語る。
巨人は不死を望むピーター・ウェイランドに怒り、大暴れ。デヴィッドの首をもぎ取り、ピーターやそのお付の人間を殺しまくる。
ショウ博士はその場からかろうじて逃げ出す。
一方、巨人は操縦席に座って宇宙船を始動する。首だけになったデヴィッドは、「巨人は地球に行って、宇宙船に貯蔵してある黒い液体を散布するつもりだ」とショウ博士に通信で告げる。
ショウ博士はメレディスや「プロメテウス」の船長にそれを報告、船長は生命維持ユニットを射出した後、地球目指して出発したエンジニアの宇宙船めがけて「プロメテウス」で特攻をかける。ミサイルその他の火器が一切ないのでそれしか阻止する手立てはないのだ。
死にたくなかったメレディスはポッドに入って脱出した。
エンジニアの宇宙船は地表に落下、メレディスとショウ博士めがけて転がってくる!
クロワッサンのような、もしくはアルファベットのUの形をした宇宙船が転がりつつ倒れてくる方向に必死に走るメレディス。
で、そのまま潰されてあっけなく死亡。なんで横に逃げないのだろうか。縦に長い建造物に対して縦方向に逃げても助からないことは、子供でもわかるではないか。
メレディスはシャーリーズ・セロンが演ずるだけあって美しい。だけど、よくわからないキャラクターだった。よくわからないまま、死亡しちゃった。演技はなんだかぎこちなかった。アンドロイドだとミスリードを誘うための演技だったのだろうか。

ショウ博士は「プロメテウス」から射出された生命維持ユニットに入る。
手術室を覗くと、死んだと思っていたイカはしっかり生きていて、巨大化してのたくっている!というか、手術室って生命維持ユニットのなかにあったのか。
そこに墜落した宇宙船から脱出した白塗り巨人がやってくる。死ななかったのだ。
しかし、巨人はイカに捕まってしまう。
そして始まる、ショウ博士から産まれたイカのような生命体と白い巨人の格闘。
これがいいのだ。
最高だ。





















イカと白塗り巨人が組んつほぐれつする魅力的なシーンにすっかりやられてしまい、繰り返し見ること数十回。
何度見ても爆笑してしまう。
口に肉棒よろしく触手が突っ込まれ、イカの巨体にすっぽり覆われて動かなくなる巨人。冒頭、深遠そうに見えるシーンから始まったのに、悪趣味なグロ画面を高品質のVFXを駆使して描き、挙句がイカ対巨人の激闘である。



映画の最後、ショウ博士は墜落した宇宙船からデヴィッドの頭と身体を回収する。
デヴィッドは「エンジニアの宇宙船はもう一隻ある。そして私はそれを操縦できる」と突然言う。「これで地球に帰れる」
ところが、ショウ博士は「これからエンジニアの母星へ乗り込むわよ!」と戦闘宣言。
かくしてクロワッサン型宇宙船は、エンジニアの星目指して旅立つ。
食料だとか水だとか、補給はどうなっているかは知らない。

一方、生命維持ユニットのなかでは巨人もイカも死んでいる。
死んだ巨人のからだを突き破り、エイリアンの幼体が出現、その咆哮で映画は終わる。

おそろしく映像のクオリティが高い「悪趣味」が堪能できて幸せである。
「エイリアン」を再構築したような映画だったのだけれども、細部の描写がものすごくガサツ。脚本の瑕疵なのか、それとも監督の意図するところだったのだろうか。
ま、イカ対巨人があるから全部許す。





字幕も吹替のキャスティングも悪評紛々であります。





2013/03/04

ハイビジョンの次は4Kテレビだそうだ。


テレビのお話だ。
私は、32型液晶テレビ録画機能付の価格が4万円を切るのを待って買ったような人間である。しかも、アナログ放送が停波したあとで買った。かのエコカードの恩恵はなくなったが、テレビは大幅に値崩れしてしまった後で、しかも無名のファブレス企業の録画機能付きでそこそこ画面の大きなテレビが携帯電話よりも安価になってしまっていた。
フルハイビジョンではないけれども、個人的には問題なく、キレイだなあと感心しつつ見ている。1週間で2、3時間しか視聴しない人間なので、画質にコストをかけようとは思わない。

20数年もブラウン管テレビを見続け、アナログ放送が停波したあとで買ったセミハイビジョンの格安液晶テレビに満足していたら、来年にはハイビジョンの次の規格による放送開始というニュースだ。


 4Kテレビはフルハイビジョンの4倍の解像度を持ち、水平画素数が約4000あることからそう呼ばれる。もともと2016年の放送開始を予定していたが、インターネットで視聴できるスマートテレビが登場したことなどにより、2年前倒しを決定した。
 4K放送は現在の地上波では送れないため、スカパーJSATが管理するCS放送の基盤を利用する。受信するには高精細の次世代テレビを新たに購入する必要がある。日本の家電メーカーは4K技術で世界に先行しており、新しいテレビ市場が期待されている。
4Kテレビを成功させるには日経新聞)

4K放送を受信するためにはCSのチューナーが必要。もちろんアンテナも必要だし、4K放送を録画するレコーダーもほしくなるだろう。
肝心の4Kテレビ自体はいくらするんだろうか。

新ステージ突入!ソニーの84V型4Kテレビ「BRAVIA KD-84X9000」

84型とはいえ、168万円もする。
しばらくは富裕層というか成金向けの商品ということになるのだろうか。
数年経ったら、地上デジタル放送移行で売りまくった液晶テレビの買い替え需要掘り起こしの主力商品になるのだろう。

フルハイビジョンの4倍という規格は、そもそもデジタルシネマのためのものであり、その開発には10数年の時間が費やされてきたのだという。
コンシューマー向けというよりも、映画の配信、工場などでの製造過程監視、道路や建物など構造物の異常検知、医療現場で画像診断や遠隔診療などでの活用、監視カメラからの犯人の割り出しなどといった業務・ビジネス分野での活用が期待されているのだ。
となると4Kテレビは、カメラや放送設備、画像を圧縮するコーデック、伝送技術、ブルーレイディスクなどのストレージメディアの技術の革新も促すということになり、経済的な波及効果もとても大きいだろう。

ただし、監視カメラに使われることはとても気になる。
街じゅうの監視カメラが高精細なものになると、警察やら権力者たちは治安を守るという美名の下、我々の高品位な映像情報をいともたやすく入手できるようになるわけで、それがどうにも気に食わない。
連中は街や店や病院や公的施設で記録した映像を蓄積し、分析をする。
鮮明な顔写真も動画も簡単に得られる。また、映像の分析から、様々な人間の「犯罪行為」も蓄積されていく。もちろん、それは犯罪の抑止に多いに役立つんだと思う。
しかし、一方では覚えめでたくない者をかんたんに逮捕できるようになるのかもしれない。

「あなたを逮捕します」
「とんだ濡れ衣だ。私が何をしたというんだ?」
「ほら、あなたは軽犯罪法違反だ」
で、高精細なモニタで立小便するおのれの姿を見せられる。
「それだけではありませんよ」
高速道路の制限速度を超えて運転するおのれの姿。しかも、助手席には不倫の相手だ。
年金やら健康保険、免許証にひも付けされて、個々の情報が蓄積される未来が来るかもしれない。いや、昨今の事件報道を見るとしれっと「監視カメラの映像を分析したところ」などと言っているから



HD規格大画面テレビの市場で韓国に完膚なきまでに敗北し、中国に猛追されている日本の家電メーカーは、4Kテレビで次なる闘いに備えるようだ。

4Kテレビは、テレビ受信機の中で、値段がこなれて安くなったら、ハイエンドの商品として消費者に受け入れられるのではないかと期待する。そこで日本のテレビメーカーがビジネスを優位に展開するためには、今のうちから4Kや8KをNHKのようにやっておくことが必要ではないか。また、韓国や台湾のテレビメーカーが安く作ることが出来ないような技術的な仕組みや部品の供給のシナリオも必要であろう。私は、そんなことをしてもこの国際分業化の時代に空しいと思うが、日本政府の考えはそういうところなのであろうと見ている。

4Kテレビは安くなる。そして売れる --- 西 和彦


まあ、官民連携で市場づくりと利権の確保に汲々するという、「エコポイント」の時のようなバカ騒ぎが数年のうちに起きるんだろう。
問題はコンテンツだ。
映画や自然紀行番組などは映像のクオリティが高いほうが楽しめる。4K化は喜ばしいことだ。しかしながら、今の民放の大半を占めるバラエティ番組を現在の4倍の解像度で見ることには意義を感じない。
アイドルだとかお笑い芸人だとかがひな壇に座って内輪話をしながら手を叩いたりする様子だとか、あまりよろしくないマナーでメシを食ったりする様子を4倍の解像度で見たいと思わない。
ドラマも、女優さんの肌が衰えてたり、厚塗りの化粧をしている様子があからさまになってもうれしくはない。まあ、リアルタイムで肌やら体型を修正する技術が出てきたりするのかもしれないけれども。
AV評論家は、もちろんポジティブに捉えているし、ヨイショをしている
ま、専門分野に特化して<評論家>を自称する人は家電メーカーやらオーディオメーカーを持ち上げて、そのおこぼれで食ってきたわけで信ずるに値しないけれども。





私はテレビにはテレビ東京の一部の番組以外はほとんど興味を失っている。
MacやiPadでもってストリーミングを視聴する時間のほうがテレビ視聴よりも圧倒的に多く、画質がいい配信に出くわすと快哉を叫ぶタイプである。
テレビ以外の映像コンテンツが充実してきて、画質や音質もストレスを感じないで見られるものが増えた。
とくにiPadでリアルタイム配信を鑑賞するのはなかなか興奮する。10インチの画面だけど、間近から鑑賞するのでけっこう迫力があっていい感じだ。

さて、テレビだ。
60型くらいの4Kテレビが3万円を切った頃に買おう。
各国入り乱れたコストダウン競争に期待しよう。
そうしよう。

しかし、4Kの次には8Kが控えているのだそうだ。
うーむ。…


2013/02/01

誰が見るのか、リブート版「ハーロック」

松本零士の「宇宙海賊キャプテンハーロック、30年ぶりにアニメ化だという。水面下で動いていた話だということは知っていたので驚きはない。
これは1983年のTVシリーズ
わが青春のアルカディア 無限軌道SSXから30年ぶりに東映動画でアニメ化されるということを言っているようだ。しかしハーロックが登場するアニメというと、2003年にSPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK OUTSIDE LEGEND 〜The Endless Odyssey〜』というタイトルでOVA化され、日本テレビ系で放映もされているので、実際は10年ぶりの映像化である。しかも、こっちはマッドハウスの制作だというから驚きだ。



「キャプテンハーロック」製作費27億円で
今秋アニメ映画化

 人類のために戦う宇宙海賊の勇姿を描いた松本零士の代表作が「キャプテンハーロック(仮題)」として今秋にアニメ映画化されることが発表された。その特報動画も公開された。
 1977年に発表された漫画「宇宙海賊キャプテンハーロック」は、地球連邦政府に反旗を翻す翻しながら、人類のために戦う宇宙海賊キャプテンハーロックと、無敵の宇宙戦艦アルカディア号に乗り込んだ40人の仲間たちの物語。
 これまでにも、繰り返し映像化されてきたが、今回は東映アニメ史上最高額となる総製作費3000万ドル(約27億円)をかけ、原作総設定に原作の松本、監督にアニメ映画「アップルシード」の荒牧伸志、脚本に「亡国のイージス」で知られる作家の福井晴敏らを迎えて映画化する。
 報道陣向けに配布された資料によると、「単なる過去作品のリメークではなく、昔の『バットマン』と『ダークナイト』などのノーラン版バットマンの関係に似て、外伝とも言える世界を再構築しており、リメークというより”リブート”(再誕)と言えるかもしれない」と記載されており、原作の魅力とハーロックというキャラクターの陰影を最大限引き出すため、現代社会が持つテーマを投影したストーリーと設定に再構築するという。
 テレビアニメの「宇宙海賊キャプテンハーロック」はフランスを始め、ヨーロッパでも国民的アニメとして圧倒的な支持を得ており、「このコンテンツの主要な市場は世界。スタッフは世界で戦うアニメ日本代表です」と宣言。日本だけでなく世界各国での公開を視野に製作が進められているようだ。日本では今秋公開される。

「キャプテンハーロック(仮題)」
今秋、全国ロードショー

(2013年1月31日  読売新聞)




映画界・アニメ界では、「リブート」にブームの兆しである。
ブート boot とは、「起動」の意味なので、リブートは「再起動」ということになる。
映画の世界では「リメイク」というコトバが使われすぎて新味がなくなってしまったせいなのか、昨年あたりから「リブート」というコトバが使われ出した。
最初に宣伝で「リブート」を言い出したのは、「アメイジング・スパイダーマン」だったか、あっという間に拡がった。

「宇宙海賊キャプテンハーロック」もリブートするのだという。
クリストファー・ノーラン版「バットマン」を引き合いに出してきた。ノーランがバットマンをあらたに描いたように、この「キャプテンハーロック」という映画もハーロックを新たに描くなどと言っている。
よりによって、CGアニメ映画化だ。地雷とも思えるCG映画なんだという。
今どき、松本零士絡みの企画に出資する人たちがいて、自己申告27億円だかのビッグバジェットがつくという状況に驚きを禁じ得ない。
だって、1990年代の早い時期に、松本零士は消費され尽くして終わっていたと思うので。

「宇宙戦艦ヤマト」のヒットがきっかけになって松本零士はなぜかアニメ業界において注目の的となり、「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」「千年女王」「わが青春のアルカディア」「クイーン・エメラルダス」などがアニメとなった。
「宇宙海賊キャプテンハーロック」は原作のマンガが中身が薄い作品だったという記憶しかない。単行本を買って読んだ記憶があるがどんな話だったか思い出せない。ハーロックが延々とモノローグで何ごとか呟いているような印象で、話の内容がいっこうに思い出せない。
原作とは違うオリジナルな展開になったアニメ版は活劇というよりも、りんたろうと脚本の上原正三の意向が強く反映した「死に場所を求める男の物語」になっていた。
映画「銀河鉄道999」ともども、りんたろうの作品であって、松本零士の作品ではないと言っていい。

「宇宙戦艦ヤマト」、ヤマトの予想外のヒットが火付け役となり、松本零士の市場価値は高くなった。平たく言うと松本零士という看板を出せば儲けることができると踏んだ連中が少なからずいて、どんどんアニメ化を仕掛けた。
当初、「銀河鉄道999」について言えば、制作スタッフに恵まれて広告戦略もうまく行って、大ヒットとなり、松本零士の名を高めた。
しかしながら以降の作品は、中身が薄っぺらで言っていることがループしていることが知れ渡り、あっという間に消費され尽くして〈松本アニメ〉ブームは終焉した。
一方、松本零士御大が描くマンガも中身はなく、絵は荒れていた。



松本零士御大の描くマンガは、誰の目にも手抜きが明らかなほどに劣化していった。各種の連載作品がスカスカな絵で内容のない話がダラダラ続くようになったからだ。
コマ割りがやたら大きくなり、話しらしい話が出てこず、毎回見開きのページに巻きものの上に詩のようなものが書かれてお茶を濁すのが常だった。
これはマズイなという感慨を持ったが、その時点で松本零士への関心がなくなって、しだいにその名も忘れていった。
西崎義展との「宇宙戦艦ヤマト」著作権裁判や、槇原敬之が盗作をしているという誹謗中傷騒動で名前を聞いたくらいか。

そして、10年ほどの時間が過ぎた。

「宇宙海賊キャプテンハーロック」がリメイクされるという。
さらに、「超時空戦艦まほろば」なるマンガも「Cosmo Super Dreadnought まほろば -超時空戦艦-」なるタイトルで映画化されるという。著作権裁判を経て、「宇宙戦艦ヤマト」そのもののリメイクができなくなった松本零士による限りなく「ヤマト」的な映像作品ということのようだ。思えば、〈松本アニメ〉というのはバブルだった。「宇宙戦艦ヤマト」の思わぬ人気が生んだ副産物であってそれ以上でもそれ以下でもない。
〈松本アニメ〉とは、表側に出てくる松本零士の意匠の裏で、優秀な脚本家や作画スタッフや演出家の奮闘があって見られるものとして体裁が整えられたものがほとんどである。もし作品が評価されるとしたら、スタッフを称揚すべきだ。

松本零士はどうしたわけか「アニメ界の巨匠」などと持ち上げられて、時として日本アニメのアイコンに祀り上げられることさえある。
で、一般的にはそのように信じられていて、今回の「ハーロック」や「まほろば」のような企画にゴーサインが出たりするのだろう。投資家の首を縦に振らせるのに、松本零士という名前の威光は大きいのだろう。
困ったことだ。

御用メディアはよいしょするとともに、こんなはしゃぎっぷり。実におめでたい。