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2012/07/18

映像の豊穣、シナリオの貧困

映像技術は進歩したけれど・・・


ああ、またCGだ。
映画やドラマを見ていて、CGのシーンになんだか冷めちゃうことがあるよね。
たまにザッピングしつつドラマを流して見ている。
すると、あ、ここCGだな、と思う機会がずいぶんと増えてきた。
昔の風景の再現であったり、架空の会社の外観だったり、大きな事故の様子など、これまでは色々とゴマカしてきた画をきちんと見せるようになってきた。
エンドクレジットでCG担当スタッフの名前が流れ、とうとう日本のドラマでもCGが使われる時代になったのか、とある種の感慨を覚える。
ところが、 VFX/CGって気づいちゃうんだよな。淡い中間色で描かれた絵なのに、突然、原色の絵が混じってしまうような違和感を覚えてしまう。
演出家も、VFX/CGを担当している人も、「はい、CGでござい!」という映像づくりをしている気がする。

気持ちはよくわかる。

これまで予算や時間などの制約で撮影できなかった画を創り出すのがたやすいので、よし!一丁やっちゃうか、となっちゃうのだと思う。
でも、それはVFX/CGというツールをうまく使いこなせていないってことではないだろうか。
VFX/CGはドラマの世界をきちんと踏まえて、その世界を創るピースとして使われるべきなのに、そうなっている作品はまだ少ないような気がする。
もしくはVFX/CGがうまく使われているとしたら、我々は使われていることなぞ意識しないで、ドラマにのめり込んでいるはずだ。

VFX/CGの進化のスピードは想像を絶する。
安価に、速く、精緻な映像を作れるようになってきた。
おかげでわれわれは<見るからにすごい映像>をたくさん目にすることができる。
でも、われわれは<見るからにすごい映像>には慣れてしまう。すぐに<すごくない映像>に思えてくる。
すごい映像はインフレを起こしている。で、我々はVFX/CG製の映像の洪水のなか、不感症になっていく。
たぶん、すごい映像でも、「これはCGだ」「VFXだな」「合成だ」と気づいてしまうんだ






























THE LAST MESSAGE 海猿 スタンダード・エディション [DVD]

興収80億円だという。
この映画にはテレビ局が制作する映画の抱える問題が如実に現れていると思った。



VFX/CGは日々巧妙で精緻になっていく。
けれども、物語の世界になじまないままで浮いていることが多い。
ほらCG使っていますよねえねえ皆さんすごいでしょ見てくださいよ」と大声で自慢しているようなカット。
そういうのを、映画でもドラマでもよく目にする。
まだそういうレベルだということなんだろう。
永六輔さんがラジオで、染み抜きの職人さんから聴いた話を紹介していた。
「染み抜きという仕事は、仕事したことが分かってはいけない仕事。世の中にはそういう仕事もある」
スタンリー・キューブリックはほぼ同じ意味のことを、特撮について述べている。
「特撮だ、と観客が気づくカットは失敗だ」と。

そうなると日本のVFX/CGは失敗しているものが多い。

アメリカでは、TVドラマであってもキューブリックの言葉に倣っている。
マーチン・スコセッシ監督の「ボードウォーク・エンパイア」だ。
1920年代、禁酒法時代のアトランティック・シティを舞台にしたドラマで、1920年代の街を再現するために映像技術が惜しみなく投入されている。
また、人物へのCGの使いかたにも驚いてしまう。

http://vimeo.com/18275127

http://vimeo.com/34678075









「坂の上の雲」
日本のドラマのなかでは、「坂の上の雲」のCG/VFXはきちんと「ドラマを描く」ように機能していたと思った。とくに日本海海戦は、ドラマでこういう表現ができるようになったのかと関心した。
「坂の上の雲」は3年がかりで放映されたドラマ。予算が巨額になったので、大河ドラマ枠ではなくて3シーズンに分けての放送となった。

映画もドラマもデジタル環境で撮影され、制作される。
映像を観るに、興収80億円の映画とTVドラマにさして映像的な差異がないような気がする。
アウトプットがスクリーンかTVかの違いでしかないんだろうか。

「坂の上の雲」は、時間も予算もそれなりにかけたTVドラマの「大作」である。
出演者をチェックする。東宝や東映の大作戦争映画みたいな顔ぶれだ。
日本では映画の大作とTVの大作、役者が同じぶれなのが悲しい。







「坂の上の雲」を観た。
よくできたドラマだった。海難救助映画とは比べるべくもなく、上出来だ。
しかし、日本のドラマにありがちな、とくに「大河ドラマ」にありがちな悪弊から逃れられていなかった。肝腎な箇所になると「語り」と称してナレーションで長々とした説明が入る。
とたんに、「紙芝居」でも見せられているような気がしてくる。
どうして「語り」に頼るんだろうか、と思う。


映像の進化、シナリオの貧困

VFX/CGによってリアリティがあって質の高い映像が出きるようになった結果、映画やドラマの問題点がはっきりしたんじゃないかと思う。
それは、演出の貧困さや役者と呼びたくないような人たちの芝居の貧弱さや、脚本と台詞のダメさがあはっきりと浮き彫りになってしまったといこと。
上に動画を貼った海難救助映画だとか、お台場の警察署が出てくる映画、その他多数。TVドラマについていえば両手に余る。
画はマシになっても、いつもながらの記号的な台詞に記号的な演技。
カネも時間もかけていない脚本。
演技の訓練を受けていない者が出てきて主役や園周辺を演じるという不幸。

そういう作品の多さにうんざりしつつ、新しいドラマが始まるとかすかな期待を込めて初回を見る。

















おしまいに、テレビドラマでこれほどの表現に挑んでいるというムービーを。

2012/07/17

怪談|隅田川の黒い影

歩くのが好きで、地下鉄ふた駅、三駅ぶんくらいは歩く。
歩きながら、あれこれ考えるのが好きだ。ラジオを聴きながら、景色の変化を楽しむのもいい。日頃の運動不足を多少なりとも補いたいとも思う。

ある春の晩、八重洲近辺で呑み、酔い覚ましも兼ねて歩き出した。
3月、とても暖かい晩だった。
永代通りに出て、日本橋を過ぎて茅場町。立ち食いそば屋に入ってもりそばを手繰る。

ふたたび歩き出して、かつての山一證券本社ビルを過ぎる。
ほどなく、隅田川にかかる永代橋だ。
右手には佃島。高層マンション群が美しい夜景を作っている。
静寂。
永代橋は絶えずクルマが往来するが、その時は信号のかげんなのか、クルマの行き来が途絶えた。
手すり越しに、左手の川面を見やる。
左側は灯りが乏しく、水面はくろぐろとしていた。
黒い水面になにかが浮いていた。いや、溺れるようなしぐさをする人影に見える。
真っ黒な人影なのに、なぜかちいさな女の子であることがわかった。
目を凝らしてみると、いくつもの黒い影が浮かんできて手足をバタバタとさせている。
ところが、水面を叩く音はまったく聞こえてこない。
もっと目を凝らそうと手すりから身を乗り出した。

そのとき、トラックのクラクションが鳴って我に返った。

慌てて橋を渡りきった。

家に戻ってTVをつけると、ニュースの時間だった。
ニュースでは、今日は東京大空襲のあった日で都が主催する追悼式が行われたと言っていた。
インタビューのマイクを向けられた老婆が、きょうだいが日から逃れようと、隅田川に飛び込んで亡くなったんですよ、と涙ながらに語った。

あれから何度か、夜半に隅田川を渡る機会があったが黒い影を見ることはなかった。

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2012/07/12

50インチテレビ・10万円の時代

ラジオで「ジャパネットたかた」の通販CMをよく聞く。
今年に入って顕著なのが、TVをほとんど取り上げなくなったということ。1年前までは3日にいっぺんくらいは取り上げていたのに。
取り上げても売れないんだろう。
そりゃ、そうだ。地デジ移行に伴う駆け込み需要と、その前にはエコポイントという国策のおかげで需要を先食いしてしまったんだから。

2011年はテレビがバカ売れした。

2011年民生用電子機器国内出荷統計

上記サイトのデータを見ると、昨年だけで1,982万台も売れた。テレビの年間需要は1千万台前後だというから、2倍売れたということになる。
2010年はもっと売れていて、じつに2,519万台。
2010年と2011年で5年分の需要を売ってしまった。
これは需要を先食いしただけなので、市場はしばらく低迷するのはあきらかだ。

2012年民生用電子機器国内出荷統計

5月までの統計が出ているが、前年同月の3,4割しか売れていない。
「ジャパネットたかた」の目玉にテレビが復帰するのは数年先だろうか。

とはいえ、2年間で4500万台も売れたのだから、メーカーは笑いが止まらないだろうと思っていた。
そうではなかった。
ご承知のように、現在、日本のTVメーカーはこぞって大幅な赤字を計上、危機的状況に追い込まれている。
ワケがわからない。

特別読み物 巨大エレクトロニクス産業の興亡 パナソニック シャープ ソニー 日立 東芝「失敗」の研究「選択と集中の罠」にハマった経営者たち

上記記事によれば、 市場動向を見誤った設備投資、海外メーカーと価格競争で負けたこと、過去8年で製品価格が10分の1に下落して儲からなくなったこと、オーバースペックで市場の実勢に合わないことなどから今日の危機的な状況が出来したことになる。
ソニーは薄型ブラウン管の成功にあぐらをかいて、自社で薄型平面ディスプレイ研究の開発をしなかった。テレビの主流が液晶やプラズマの薄型平面ディスプレイに切り替わったとき、単独での薄型パネル生産ができず、早急に薄型パネルを安定確保する必要から、サムスンとパネルの合弁事業を立ち上げた。
この合弁事業は、ある時期までうまくいってソニーがテレビの世界シェアを維持することに貢献した。
しかし供給過剰から液晶パネルの価格が急落すると状況が一変する。合弁会社から高値で調達せざるを得ず、テレビ事業の苦戦を招いた。
結局、ソニーはこの合弁事業を730億円でサムスンに売却、別な調達先を模索することになる。
パナソニックはプラズマに固執し、市場での成長があると信じて尼崎工場に巨額の設備投資をして、シャープは大型液晶パネルの市場が成長すると踏んで堺工場に巨大な設備投資を行った。プラズマは市場で敗退し、大型液晶パネルの市場は充分に育つことなく、代わりにスマートフォンやタブレットPCなどの小型液晶の市場が目覚しく成長した。

日本のテレビメーカーはこれからどうするつもりなんだろう。

海外に拠点を移して安いテレビを作るんだろうか。
それとも、日本市場を重視し、これまでと同じようにハイスペックな製品を
高い値段で売りつけるという「高付加価値販売」手法に固執するのだろうか。この可能性はけっこうありそうで、4Kテレビなどという次期規格がアナウンスされている。ハイビジョンの4倍の高画質なんだそうだ。放送のフォーマットを変えて一気に家庭のテレビもリプレイスしようというんだろう。そういう高画質なテレビでタレントや芸人が内輪話をしながら手を叩いている様子を見られる時代が来るのだ。だれがそれを望むかは知らないけれども。
こういう見解もあるけれど…

その製品自身が売れなくても意味があると書いたが、「最先端技術を詰め込んだ最高のテレビ」を作るメーカーというイメージが定着すれば、新興国市場で続々と誕生している富裕層達が、飛びつく可能性もある。日本では高価な製品が売れにくい時代になりつつあるが、グローバル市場に目を向ければ、「金に糸目を付けずに最高のモノを求める」ユーザの数は、むしろ増加している。その意味では、中国市場などでの販売を検討すると面白いかもしれない(東芝の4Kテレビは、今のところ、日本市場と欧州市場での展開を予定している)。

上記の意見は一理あるが、徒競走ですぐに韓国や中国が追いついてくると思う。それも日本が想像するよりも早く。

それとも、思い切ってテレビ事業から撤退する?
と思ったら、こんな記事があった。

 50型液晶TV、10万円以下 中国大手が日本で発売
2012/7/10 20:2

中国の家電メーカー・海信集団(ハイセンス)が50インチのハイビジョンLED液晶TVを、実勢価格10万円以下で売り出すのだという。日本製品の半分以下の価格だ。
今後、中国の家電製品はどんどん出てくると思う。

海信日本







テレビはあまり見ないが、いちおう安いものを持ってる。
ウチのテレビは、PRODIAというファブレス企業の32インチ液晶テレビ。日本で設計して中国で製造組立したテレビだ。
フルハイビジョンではないが、画質は充分。320GBのHDD付きで録画ができる。これで39,800円だった。いまは値下がりして、24,800円になってる。安いな。
MacBook ProとHDMIケーブルでつないで、サブモニタにしたりもしている。

テレビはもう古い。
ある日、ラジオを聴いていたら、「4歳になる子供がiPadを使うようになった。YouTubeアプリを立ちあげて、覚えた言葉を入れて検索して動画を見ている。Hな動画をみるようになったらどうしよう」というリスナーのメールを紹介していた。

そういう時代なんだろう、と思う。
見たいものを探して見る。
番組表に縛られるテレビではなく。








ま、それが今年本格化するという「スマートテレビ」なのだけれども、そのマーケットではたして日本のメーカーは勝てるんだろうか。スマートフォンやタブレット端末のように敗北してしまうのだろうか?

2012/07/11

「宇宙戦艦ヤマト2199」は脱西崎で成功。

「宇宙戦艦ヤマト」とは、西崎義展のものだった。

本放送では「アルプスの少女ハイジ」の裏番組だったこともあって視聴率が低迷、打ち切りとなってしまった。ところが再放送で人気に火が付き、TVを再編集した劇場版が思わぬスマッシュヒットとなった。すると東映動画が手を挙げて、続編が作られることが決まった。かくして「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が作られた。
で、1978年に公開された。
すると観客動員数約400万人、興行収入43億円という、大ヒットを記録的してしまった。「スター・ウォーズ」(エピソードⅣ)も興行収入43億円だというのだから、いかに大ヒットしたかがわかる。
これが「ヤマト」の不幸の始まりだった、とおれは思っている。
西崎義展が大儲けして大金を手にしてしまったことが。

ご承知のとおり、「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のクライマックスでは、古代進がヤマトとともに彗星都市帝国の超巨大戦艦に特攻をかける。
そのあと、こんなテロップが流れる。

ヤマトを愛して下さった皆さん・…さようなら。
もう、二度と姿を現すことはありません。
でも、きっと永遠に生きているでしょう。
あなたの胸に、心に、魂のなかに。

ヤマトが
沢田研二が唄う「ヤマトより愛をこめて」が終わるとこのテロップが流れた。
かくして、映画館内はすすり泣く声に満ちたのだった。









しかし。
ヤマトは銭になるという事実の前に、かのテロップは反故にされた。



2012/07/07

宇宙戦艦ヤマト2199第2章「太陽系の死闘」見た

イベント上映に行ってしまった

「宇宙戦艦ヤマト2199」はTV放映でタダになったら見ようと考えていたのだが、ネットで配信された「第2章」冒頭9分の映像をうっかり見て煩悶し、新宿ピカデリーに行ってきた。
あのワープシーンを見ちゃったら、どうしても続きを見たくなったんである。つまり集客プロモーションにいとも簡単に引っかかっちゃったというわけです。
いささかの敗北感があるようなないような。


















いや〜、まいった。
面白かった。
あっというまに100分が過ぎた。
TVシリーズ4本、ワープテスト、木星の浮遊大陸、波動砲発射、ゆきかぜ発見、敵戦車・アンドロイド兵士との戦闘、冥王星ガミラス前線基地攻略・殲滅と、盛りだくさんの話が早いテンポで進む。
「第一章」もそうだったが、やたら情報量が多いのだ。
と思ったら、TV第1作では、冥王星基地殲滅は第8話だった。
6話までで8話分。
テンポアップされている上に、新しいエピソードや人物描写も加わっているのだ。ヤマト艦内のさまざまな場所が登場するのもいい。艦長室の階段、食堂はじめ緻密に設定された艦内の様子も楽しめる。艦載機に関する描写も見事だ。
詰め込みすぎという声もある。
現代だと、これくらいのスピードや情報量がちょうどいいかもしれない。
少なくともおれには快感と思えるテンポだった。

劇場用アニメとして作られた「宇宙戦艦ヤマト復活篇」よりはるかにデキがいい。
先行して成功した「機動戦士ガンダムUC」に倣って、質の高さ確保を第一にしているようだ。ただし、一部作画のばらつきは見られたけれども。

登場人物の描写も良かった。
敵味方問わず目が行き届いている。古代進は、TV第1作の「熱血キャラ」ではなくなっていて興味深い。真面目で誠実なキャラクターになった。また、古代進は群像劇のなかのひとりで、ちょっとだけ目立っている存在として描かれている。
そう、「宇宙戦艦ヤマト2199」は群像劇なのである。
新しい登場人物を含めて人物の造形や描写がていねいだ。
TV第1作では艦橋にいたキャラクター以外はその他大勢として描かれていたが、今回は様々な人物にも名前とバックグラウンドを与えて、しっかり描いている。
また、冥王星前線基地司令シュルツの描写も、肌色の違いをうまく取り込んだ設定になっている。TV第1作の彩色ミスを、「ガミラス帝星に制圧されて屈服した異星人」として合理化した。お見事。しかも、今後のストーリー展開の伏線にもなっていそうな気もする。

ほのかに松本零士リスペクトな描写があるのもうれしい。

「宇宙戦艦ヤマト2199」は再構築された作品である。
出渕裕が中心になって取組んだ<リ・イマジニング=再創造>作品である。

出渕裕は、1974年に放映された最初のTVシリーズに深く魅入られ、ヤマトのファンクラブで同人活動を始めた。
ヤマトに魅入られながらも若干の不満を抱いて、<こうなってほしいヤマト><自分の考えた宇宙戦艦ヤマト>をたえず想像していたおたくのひとりだったに違いない。
じつは初期おたくにはそういう人たちが少なからず、いた。
今でいう「二次創作」は、TV第1作直後から全国各地に現れた数多くの「ヤマトファンクラブ」の同人誌がその源流のひとつであると思う。そこには、<ぼくたちの考えた宇宙戦艦ヤマト>が描かれた同人誌がたくさんあったのだ。
出渕裕はそういった活動をしていた。
くわえて、SFファンとしてヤマトの描写の矛盾や設定の瑕疵に関して補完を試みてきた人だったと睨んでいる。
アニメファン、SFファンとしてのかつての思いが、「2199」にはストレートに反映していると思う。

ヤマト以前のアニメファンの活動というと、「海のトリトン」、「科学忍者隊ガッチャマン」ファンが盛んな活動をしていたと思う。両作品とも女性が熱心な活動をしていて作品解説の冊子、二次創作の小説などを発表していた。
ヤマトの登場で、アニメファンの活動が全国的な広がりを持つようになったと記憶する。





Galacticaとヤマト


邪推をもうひとつ。
「宇宙戦艦ヤマト2199」は、「Battlestar Galactica」のリ・イマジニングシリーズから少なからず影響を受けているのではないだろうか。
「Battlestar Galactica」のオリジナルシリーズは1978年に放映された。「スターウォーズ」の大ヒットを受けて制作されたTVシリーズ。莫大な制作費をかけたものの、人気は得られることなく終わったスペースオペラだった。
「ヤマト」は、地球を救うコスモクリーナーDを求める旅のものがたりだ。これに対して「Galactica」は機械化種族サイロンとの戦いに敗れた12の植民惑星の生存者が、船隊を組んで母なる惑星「地球」を目指す、旅のものがたりである。
「Battlestar Galactica」リ・イマジニングシリーズの基本的なストーリーラインはオリジナルと同じだ。しかし、設定や人物設定を大胆に見直している。
主役級の男性キャラクターを女性に変更したり、敵側に人間型サイロンを登場させたりした。メカのデザインも旧作を活かしつつ一新され、前作とは異なる新しいイメージを獲得している。
とくに、個々の登場人物を深く掘り下げてドラマに深みを持たせている。
おそろしくクオリティの高いVFX、太鼓などエスニックな音楽も取り入れた印象的なBGM、手持ちカメラで撮られているように絶えず揺れている画面はまるでドキュメンタリーを思い起こさせる。
人気作品となって、ミニシリーズ、4シーズンにわたるTVシリーズ、2本のスピンアウト、前日譚を描いたTVシリーズまで作られた。





当然、日本でも多数のファンとシンパを生んだ。 「宇宙戦艦ヤマト復活篇」「SPACE BATTLESHIP ヤマト」には「Galacitica」の戦闘シーンをパクった描写が見られる。微笑ましい。



「宇宙戦艦ヤマト2199」にも「Galacitica」に似た映像演出が見受けられる。 かつて「ブレードランナー」が<荒廃した未来>を見せて、後に多数のエピゴーネンを生み出した。同じように、「Battlestar Galactica」リ・イマジニングシリーズ以降に作られた宇宙ものSF映像作品はこの作品の影響を受けている。 「宇宙戦艦ヤマト2199」は、とくに作品作りの考えかたや手法でかなりの影響を受けているのではないだろうか。 リ・イマジニングという考え方。オリジナルを尊重した上で、現代的な要素をたっぷり盛り込んでストーリーを再構築するという手法。 キャラクターの再構築。人物の造形と掘り下げ、群像として描く方法。 「軍隊らしい」描写。 テンポ、情報量の多い映像づくり。 作品づくりのベーシックなところでお手本になっているのではないか。 ところで「Battlestar Galactica」リ・イマジニングシリーズって、「マクロス」や「伝説巨神イデオン」の影響が色々と見られる。戦闘シーンやクライマックスにおや?と思うシーンが出てくる。ああ、イデオンを実写でやってる、っていうような場面も。 スタッフには日本のSFアニメファンが多いようだ。 あ、そういえば「マクロス」は、「Galactica」オリジナルシリーズの影響を受けたとも言われてるんだった。 まあ、押井守いうところの「日米パクリ合戦」であって、結果、いい作品が見られるならいいことじゃないですか。おたがいにリスペクトもあるし。 そういうわけで、面白かった。  

しかし、若い世代は食いつかない

若い人には受けないアニメだな、と思う。
関心持つ者も少ないんじゃないだろうか。
現に満員になった映画館は中高年ばかりで、若い世代も女の子もいなくて、中高年の男女ばかりだ。
たまたまおれが足を運んだ回だけなんだろうか?
いや、中高年代以外の世代では話題にはなっていない。

かれらは「人類救済のための想像を絶する苦難の旅」のような<大きな状況>を描く物語に関心を持たない。
16万8千光年の壮大な旅を描く<ロマン>など、若い世代は受容しない。
「エヴァンゲリオン」のような世界の危機と内面の問題が同じ比重で描く作品が人気を勝ち得てのち、ロマンの権化のような松本零士は過去のものとなってしまった。
今にいたっては<日常>を細やかに描くという作品がもてはやされる。軽音楽部の女の子たちのはなし、のような。

実際、劇場に足を運び、DVDやブルーレイを嬉々として購入する中高年は、「宇宙戦艦ヤマト2199」を鑑賞しつつ、かつて見たTV第1作を追体験している。イベント上映の劇場はそういった連中が席を占めている。リビングの片隅では、家族が寝静まったあとで静かに鑑賞に勤しむ者も多いだろう。
はしゃぐ中高年を訝しげに、もしくは冷ややかに見ている若い人も多いことと思う。

でも、大時代的なロマンの面白さを理解してくれる若い人が少しでもいいからいてくれたら、と思う。
などと書いてると、なんか先行する世代の方々が「日活無国籍アクション映画」の面白さをくどくど説いているみたいだな。
うーん。


おれは、出渕裕による<宇宙戦艦ヤマト再構築>を全面的に支持する。
大胆な再構築をしてもらいたい。TV第1作をそのままトレースして、きれいな絵で仕上げましたよ、というのでは面白くもなんともない。
旧作にはなかったエピソードを加えることも諸手を挙げて賛成する。


今後の「宇宙戦艦ヤマト2199」がどうなろうと、見届けたい。


ちなみに、「第1章」もDVDを買い求めて、見た。ブルーレイの環境がないので。
結局、貢いでる。
やれやれ。