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2010/08/22

「怖い話」が好きなおれ。

異常な怖がりでホラー映画を観るときは指と指の間から覗き見るようにしているにも関わらず、おれは「怪談」が大好きだ。

物心ついたときには少年マガジンや少年サンデーの巻頭を飾った「怪奇特集」を心待ちにしていたし、中岡俊哉先生や佐藤有文先生の怪談本は夢中になって読んだ。とりわけ、中岡先生の「心霊写真集」は大好きだったなあ。
もちろん、つのだじろう先生の「恐怖新聞」と「うしろの百太郎」も貪るようにして読んだ。
おれがガキだった時分、オイルショックというものがあって世相が一気に暗くなってしまった頃のことだ。「ノストラダムスの大予言」がベストセラーになったことでもわかるように、オカルト的なものがすごく流行った。
<終末ブーム>の頃のおはなし。
おれは田舎育ちだ。ガキの頃、近所の暗がりには何ものかがいそうな気配が濃密に漂っていて、怪談には奇妙にリアリティがあったような気がする。

 長じて心霊などいささかも信じない擦れっ枯らしになった今でも、<心霊もの>はたまらなく好きだ。

 「新耳袋」や「超怖い話」は新刊が出るたびにすぐに買い求めて読んだ。ミリオン出版の「実話ナックルズ」別冊のオカルト雑誌も好んで買って読む。
 これらで語られる怪異は、とてもおもしろい。
 「怪談新耳袋」「超怖い話」はほぼ同じ時期に始まって競うあうように出版されていた。このふたつのシリーズは、まず、「実話怪談」と銘打っている。体験談の聞き書きである。従来の「怪談話」とは大きく違っていて新しい怪談読者を少なからず呼び込んだ。

 それまでの怪談は「これは、私の友人から聞いた話です」「これは私の地元では有名な話です」「学校に伝わっている怪談です」など、伝聞に基づいて語られるのが普通だった。
 対して「実話怪談」では、怪異や幽霊の理由や来歴はほとんど語られることはない。
怪異そのものが、無造作に提示される。
幽霊の正体、生前は何ものであったのかについては、殆ど描かれない。
従来の怪談が情緒的でちょっとウェットなのに対し、「実話怪談」は視覚的でドライな印象。
「怪談新耳袋」はたっぷり取材したものをそぎ落として、さらりと書いているのがいい。さらりとした描写なのに、じわりと怖い。布団に入って読んで、電気を消すのが怖くなる。
一方、「超怖い話」は、3代目編者の平山夢明が得意とする 「生理的に嫌な幽霊」「肉体が損壊した状態で出現する幽霊」が登場する話など、視覚や嗅覚に訴える怪談が多いように思う。平山夢明が抜けたあとも、後継の書き手もそれを継承している。
腐乱して蛆をポロポロこぼしながら迫る幽霊や顔のパーツがメチャクチャになっている幽霊やなんかが登場する。

実話怪談本は、夜中に読むのが好きだ。しんとした中でページを繰っていると不意に物音がしたりしてびくりとする。それがまたいい感じだ。
 あと、真冬に読むのが好き。夏に読むよりも、いい。

2010/08/20

『宇宙戦艦ヤマト復活篇』を観た。

2009年12月、「宇宙戦艦ヤマト」の続編が四半世紀ぶりに公開された。

その名も、「宇宙戦艦ヤマト復活篇」
お正月映画として百数十館で一斉公開されたものの、見事にコケた。
わずか4.5億の興行収入に終わり、公称25億円の制作費回収は絶望的。
じつは、おれも劇場に足を運んだ。三十数年にわたって付き合ってきたアニメだ。内容には期待できないと思いながら、映画館に出かけた。そして予想通り、失望と深い溜息とともに映画館を後にした。

「宇宙戦艦ヤマト復活篇」は、映画を、〈こう作ってはいけない見本〉として貴重だと思う。
まず、映画の内容について強権を振るえる人に作品を構築する力がないのがよくわかる。見ていれば頭の悪くなる展開が続く。
それはもう、悲しいくらい。
復活篇は、ご存知<赤坂のデスラー>と呼ばれた西崎義展が企画・原案・制作・総指揮・脚本・監督を務めて、字幕もかつて見たことないほどデカく映し出された。
スルドくて真摯な映画批評でおなじみの、ライムスター宇多丸が唱える「ワンマン映画 ー ひとりの人の肩書きがやたら多い映画、名前がデカデカと表示される映画は大抵駄作」説が当てはまる映画だ。

ヤマトの映画は、パターンに則って制作されてきた。

・地球に未知なる脅威が接近し、このままでは滅亡する。
・ヤマトが脅威に立ち向かうべく出撃する。
・敵は強大な宇宙帝国。
・ヤマトは苦戦するものの、味方の尊い自己犠牲にも助けられて勝利。
・かくして地球の脅威は去る。

今回も、このパターンを踏襲しているので、物語には新味はない。
敵は、地球に進路を取る移動性ブラックホールと、それを操る星間国家連合SUS。
ヤマトは移民船団を護衛しつつ、移民先の惑星アマールに到着。
ついにはSUSに宣戦布告。
ほとんど物語らしい物語はなく、ヤマトの戦い方に一方的に感服したSUS所属のエトス星艦隊のゴルイ提督がSUSに叛旗を翻して特攻をかける。アマール星のパスカル将軍もヤマトの盾となって散る。
SUS巨大要塞のバリアを破壊するのは、ヤマト副艦長の大村の特攻。
ヤマトがピンチになると、はい!と手を挙げて喜んで特攻をかける者が現れるのだ。
挙句の果てにSUSの司令官は、ヤマトの艦橋に現れて、秘密をベラベラ話して消える。
<知恵と勇気>で危機を乗り越える。それは望むべくもない。

登場人物はほぼ一新されているが、揃って魅力もないし印象に残らない。

復活篇の基本構成案は平成5年、石原慎太郎原案で発表されている。
今回の映画は、基本構成案にほぼ沿った内容だった。松本零士や豊田有恒などが構成案を叩いてストーリーを練り上げるというプロセスがあれば、もっと面白いお話になったかもしれないが、著作権をめぐる裁判を経て、<知恵袋>的な人材は去ってしまった。
となれば、西崎義展の思うままにお話が作られたということになる。

結果、「つまらない」「盛り上がらない」お話になってしまった。
西崎義展にはお話を面白く語る才覚はない。

旧作「宇宙戦艦ヤマト完結篇」から17年という時間が経っている。当然、「復活篇」はCGを大幅に採り入れたアニメになった。
しかし、個人的な好みで言うと小林誠のメカデザインは好きになれなかった。
戦闘シーンは、<いかにもCG>な感じにしか見えず、たまに良いと思えるカットがあると思えば、アメリカのSFTVシリーズ「GALACTICA」の戦闘シーンをいただいたと思える絵作りだった。
小林誠のブログを見ると、「GALACTICA」を礼賛しているという次第だ。
やれやれ。

あと、カットによってアニメの作画クオリティがおそろしく低かった。湖川友謙という、画力のある人が作画監督をしていたが、修正しきれなかったようだ。
「ヱヴァンゲリヲン」や「サマーウォーズ」と同じ年に公開されたアニメと思えない酷いカットが目立った。登場人物がみんな艦橋内で椅子に座っているので、動きが乏しい。たまに登場人物が歩くカットがあったりすると歩き方がヘンだったりする。

映画館で観たとき、観客は10人くらいだった。150人くらい入る劇場に10人だ。ガラガラなのに、なぜか隣にとても太った中年男性が座って、呼吸音が耳障りだった。 真冬なのに体臭が臭った。
「復活篇」を観ようと劇場に足を運んだのはほとんどが40・50代の古いおたくだった。
かくして興行は失敗した。
新しいお客さんを開拓できなくて、ヤマトにかすかなノスタルジーを感じる中年と、おたくを辞められない中年だけが集った。「ヱヴァンゲリヲン」や「サマーウォーズ」に熱狂する世代にとってヤマトは関心の埒外だった。

で、半年が経って、レンタルDVDが出て、セル版も発売された。
興行成績と同じく、 レンタルは回転しないし、セルは3万枚で頭打ち、ランク外。
レンタルDVD屋に行っても、置いていないか、ひっそり1本だけ貸出中になっている。

そんな中、いくつかのヤマト関連掲示板を読んで驚いた。
「ヤマト復活篇第二部」が作られると信じる人が少なからずいるのである。
劇場公開時は、何度も足を運び、DVDやブルーレイを何枚も買うという奇特な連中がそれを信じているようだ。
現実的に「ヤマト復活篇第二部」は実現の可能性は殆どない。制作費が回収できず、下請け制作会社にお金を払えない作品の続編などできるはずがない。よっぽど酔狂で金が余っていてヤマトが好きだという金持ちが出資すれば別かもしれないけれど。
四半世紀ぶりに封切られた新作のヤマト、ノスタルジーを覚えて映画館に行ったけれど、何やら不満とか物足りなさを覚えた人が少なからずいたのだと思う。そういった人の少なくない数が、「ヤマト復活篇第二部」を欲しているようだ。欲求不満の解消を求めて。




いつか、「復活篇第2部」は作られるのだろうか?

もし作られたとして劇場に足を運べるのは最初のTV版から半世紀以上過ぎた時で、ガラガラの館内にはヤマトが好きだった老人がのろのろと集うのだろうか?

(追記)

2010年11月に西崎義展が小笠原で溺死。
その後、ヤマトの制作会社・エナジオは 「宇宙戦艦ヤマト復活篇 ディレクターズカット」を小林誠監督で制作すること、「復活篇第2部」「宇宙戦艦ヤマトTVシリーズ」を制作することを発表している。TVシリーズは最初のTVシリーズのリメイクらしい。

初めて飲んだ薬とその効果

朝7時、京都から乗ったバスが東京駅の八重洲口に着いた。
降りた途端、天地がひっくり返っておれは薄曇りの空を見上げていた。足にまるで力が入らなかった。降りたばかりの乗客が「大丈夫ですか?」と声をかける。

一瞬、おれは脳梗塞にでもなって、カラダがうまく動かせなくなったのかとぞっとした。

柵につかまって、どうにかこうにか立ち上がることはできた。

登山用の重いバックパックを背負って、慌てて八重洲地下街に降りる。大丈夫だ。倒れはしない。まっすぐ歩ける。心配ない。
階段を登って、ふたたび八重洲通りに出た。どこかで朝食を食べようと思った。
すると、酔っぱらいの千鳥足のようにふらふらしてまっすぐ歩けない。おれは日本橋の駅に向かって、まっすぐ歩けないのをまわりの人たちに悟られないように、ゆっくり歩くが、やはり足取りはまっすぐにならず、膝がかすかに震える。胃の中に重い塊のようなものが現れて、かすかな空腹感を追い払った。
ああ、おれはどうなったんだ?
うわ言のような独り言を、向こうから来た眼鏡の中年男性が聞き留めたのか、いぶかしげな視線を向けてきた。
高島屋の日本橋店まで、おれはよたよたと、可能な限り周りを歩く人とクルマに注意を払いながら歩いた。

昨日、おれは京都のマンションにいた。カミさんが単身赴任で住んでいる。
突然、鼻水とくしゃみが止まらなくなった。
そのことを言うと、カミさんは自分の服用する鼻炎薬を2錠くれた。
それはとてもよく効いて、くしゃみも鼻水もぴたりと止まり、バスに乗り込んだ途端、おれは強い眠気におそわれて、次に気がつくと、八重洲到着を告げるアナウンスを聴いていた。
そして立ち上がり、バスから降りるとひっくり返った。

強い効き目と同じくらい、強い副作用があったようだ。調べると、鼻炎薬のなかにはふらつきやめまいの副作用をもたらすものがあるようだ。
それとも、おれは薬に弱いのだろうか?

約10分後、最寄り駅に着いた頃にはふらつきは消えていた。
が、頭にかすみがかかったような状態が今も続いている。

さて、薬の効き目が切れたら、おれはまたくしゃみと鼻水に悩まされるのか?
そうなったら耳鼻科に行って、薬を処方してもらう必要があるのだろうか?

八重洲の路上に転がった時、おれを見下ろす視線のなかには
<こうつ、ヤク中ちゃうか?>
といういぶかしげなものがあった。
そして立ち上がったおれは呂律が怪しかった・・・